マスコミには日本サッカーを良くする気があるのか
- 2014.06.26
- 雑感
残念ながら、日本代表のワールドカップの戦いが終わってしまった。
厳しい結果だったけれども、日々目にする各国の戦いぶりを見れば、日本の力がまだまだ足りていない事は明らかだった。
結果は結果。仕方ない。
それでも、ワールドカップと言う真剣勝負の舞台でしか感じられない、他国との差や、世界のサッカーの潮流を知る事が出来たのだから、今後の糧にすれば良い話だ。
しかし、敗退から一夜。
やっぱりと言ってはナンだが、スポーツ紙の紙面が酷い。
特にサンスポ『負け犬の遠吠え 本田』だ。写真も酷い。
他にも
報知『本田「惨め」な結末』
トーチュウ『口だけだった本田』
スポニチ『本田惨め』
どのスポーツ紙も、この様だ。
スポーツ紙は、センセーショナルな見出しを好む。
別に、甘やかし、お茶を濁すような見出しにしろとも思わない。
しかし、この見出しからは、一体何を読者に伝えようとしているのか、書き手の意図が全く伝わって来ない。代表を、ただ蔑み、批判し、貶める事だけを考えているのだろうか。
マスコミは、大きな力を持っている。
彼らの伝え方の一つ一つが、読み手の心に残り、見えない力となって、世論を形成していく。
今、彼らが真にすべきは、この敗戦を日本に居るファンの一人ひとりの心に残るように生々しく、悔しさが残るように伝え、そこから、如何に日本サッカーが立ち直るか。
何が通じて、何が通じなかったのか、どうすればより良くする事が出来るのか。
それを記者一人ひとりの厳しい言葉で、伝えるべきではないのか。
スポーツ紙の専門記者と言う立場なら、選手たちと直接話す事もあるだろう。
書かれた選手が、どんな気持ちで今いるか、考える心も無いのか。
スポーツが好きだからこそ、専門誌の記者になったはずじゃないのか。
この見出しには、それが無い。
ただ、人々の批判を煽り、紙面を売ることしか考えていない。
日本を悪く見せる、悪意しか感じ取ることが出来ない。
ドーハの悲劇と呼ばれた、1993年のワールドカップ予選、
ジョホールバルの歓喜と呼ばれた、1997年のワールドカップ予選。
あの頃の紙面は、敗れても、悔しさに溢れ、共に立ち上がろうと言う熱さが文章に込められていた。勝利すれば、その一勝への歓喜が、書き手の熱さと共に伝わってきた。
今日の紙面を見て、子供たちは、どんな感想を抱くのだろう。
サッカーに興味を持つかもしれなかった子が、「なんだ、口だけだったんだ」と、サッカーから、目を背けてしまうとしたら、それはマスコミにも責任がある。
勝った時だけ応援し、負けた時に叱咤激励しないようでは、共に戦っているとは言えない。
見て不快になる、こんな見出しの新聞、自分は買わない。
買うとしたら、今回はニッカンの『日本サッカー出直せ』の一紙だけ。
本当は、日本代表が勝っていたら、スポーツ紙だって売れたでしょ?
その為には、代表が勝つように、ミーハーじゃなく、サッカーと言うスポーツそのものに興味を持つ人がもっと増えるように、見出しも、中身も、考えて作って欲しい。
限られた人しか、この紙面を作る事は出来ないのだから。
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