変化が必要 第9節・讃岐戦

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サッカー日よりにも関わらず、観客6,500人。
とうとう臨海並の動員になってきてしまった。

こうなるのも当然だ。
湘南戦で0-6で大敗を喫し、その素晴らしいサッカーに打ちのめされた。
富山・讃岐と、下位に沈むチームに勝ちきることも出来ず。
内容でも、果たして観るべきものがあったかどうか。

緩慢な円陣ダッシュ。 
いま、選手達から覇気を感じない。
自信を失ってしまっているのだろう。
智ですら、集中力が切れたと感じるシーンは、一度や二度ではない。

このままではダメだ。
チームには変化が必要だ。 

必要な変化は「原点回帰」。
即ち、「走る」ことだ。
今のジェフは、やはり決定的に「走り」が足りない。

ボールを全部止まって受けている。

単純に走力が足りないだけでなく、
スペースを作る為の動きや、相手を追い込む守備の連動もない。

「どう動くか」が、明確で無いから、
今持っている走力すらも、十分に発揮しきれていないように見える。

こう書くと、
今のジェフは、そう言う選手構成をしていないとか、
これからやり始めても、追い付かないと言った反論が出るだろう。

しかし、かつてのジェフの姿が反証になり得る。
走れる選手を集めていた訳ではない。
まず走り、それが出来る選手がチームの中で自然と生き残っていったのだ。

「よく走る」チームと、
「よくパスを繋ぐ」チームがあったとしよう。

この2チームよりも
「走って、パスを繋げる」チームの方が強いのは自明だ。

「よくパスを繋ぐ」だけのチームは、
いつまで経っても、「走って、パスを繋げる」チームには追い付かない。

ならば、いつか走り出さなければならないのだ。

選手達が走れるように、鈴木監督らがすべきは、 どうすれば選手が走るかを、
具体的に落とし込む事だろう。

例えば、2001年。
ベルデニック監督の下では、ボールを奪うため、プレスをかけるエリアがハッキリしていた。
ボールを奪ったら、FWや、ウイングバックがタテに抜け出す。
成功しても、失敗しても、それを愚直に繰り返す。
非常にオートマティックにボールが出されるから、判断が早く、相手の対応を上回れる。 

そう言うパターンをいくつも作って、相手の機先を制していた。

その時のボランチは、長谷部(茂利)と武藤(真一)。
年齢も高く、決して走力があった訳でもなければ、本職と言う訳ではなかったが、
明確なルールがあったからこそ、周囲と有機的に連動し、
欠点を補って余りある働きが出来ていた。

今のジェフに、それが出来ないと言う道理は無い。

この讃岐戦で、ボランチを組んだのは勇人と兵働。 
ボールを前に運べず、時間のかかるシーンが目に付いた。

仮に、彼らがボールを持った時に、「必ず」サイドバックが敵のサイドバックの裏へ走り、
「必ず」そこへパスを出す(例え失敗しても)と言うルール付けをしてゲームに臨んでいたとすれば、 
もっと、効果的な崩しのシーンは出来ただろうし、結果も違っただろう。

選手に自主性を求めるのは結構。
選手には点を取る為に、シュートを撃つ為に、必死に考えて貰わなくてはならないが、
迷ってもらわれては困る。

考えながら身体が動くようになるためには、その前に考えなくても良いように選手を指導するのが、
チーム戦術を指導する監督の役割だろう。

監督・コーチは、選手が走れるように、ルールを明確にし、指導しなければならない。
自主性に任せるばかりで結果が出ないのであれば、一歩戻ってシンプルにする必要がある。

鈴木監督が目指すサッカーは、もしそれが出来れば素晴らしい事だろう。
しかし、古今東西、走らずにそれを達成したチームは無い。
海外強豪チームであっても、いや、あればあるほど、間違いなく走っている。

自信の砕けたチームを立て直すのは容易ではない。
折れた心に喝を入れ、選手を再び走らせる。
鈴木監督ら指導陣には、それが難しかろうとやってもらうしかない。

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そして選手達。自分で試合を決めてやろうってヤツは居ないのか?
走れないというワリに、試合後、余力が残っていないか?
スタンドからでも伝わるような、「ジェフを俺が何とかする」 って闘志を見せてくれ。
それが出来なきゃ、J3だってあるぞ。

身体ごと、ポストに当たってもゴールに流し込む。
そんなプレー、しばらく見ていない。
眠たくなるバックパスより、そう言う気持ちの篭ったプレーをスタジアムで観たいんだ。