またいつか、黄色いフクアリで

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オシム元監督が、日本協会のアドバイザーを退任し、オーストリアに帰国するとの事。
産経新聞の記事の末尾にあった一言。
>《去り際に》ジェフ(代表監督就任前に指揮したJ1千葉)が(リーグ)優勝できなかったのが心残り。まあ下(J2)に落ちずによかったが。

かなわない夢なのかも知れないけれど、いつの日か、黄色いフクアリで御大の大きな身体を胴上げ出来るその日を楽しみにしています。

(2003年・サッカーダイジェスト誌より)
「“市原としてのチーム”をこれから作っていくので、それを見てもらいたい。“市原としてのチーム”というのは、市原サポーターのためのチームということ。『自分たちのチームだ』と胸を張ってスタジアムに足を運び、市原サポーターで客席を埋めて欲しい。磐田のサポーターじゃない。市原のサポーターがスタジアムに来ることで選手も頑張れる。  それは決して全部勝つと言う意味ではない。ゲームなのだから、勝つときも負けるときもある。だけど、市原は市原のサッカーをやる。それを観に来て欲しい。それは大切なことなんだ」

当時この言葉にどれだけ勇気付けられ、そして今も心に響いているか。
選手達がそうだったように、自分達サポーターもまた、“オシムチルドレン”でした。
臨海に、貴方がやって来たあの日から、自分たちも少しは成長した姿を見せる事が出来たでしょうか。
貴方が去っても、ジェフと言うクラブとサポーターの心には、途切れる事無く貴方の遺したものが生き続けるでしょう。

昔も、今も、これからも、ジェフは自分の誇り。この街の誇りです。
そしてまた、貴方も、ジェフにとっての父であり、私達の誇りです。

お身体を大切に。またいつか、黄色いフクアリで。

▽「W杯で世界の記憶に」 アドバイザー退任のオシム氏(産経新聞)