寝台特急富士
今回の大分遠征のもう一つの目的だったのが、寝台特急富士に乗ること。今はもう少なくなってしまった、「ブルートレイン」の一つです。
ウチは親父が、強烈な蒸気機関車マニアだったために、子供の頃からやたらにSLやら鉄道やらのおもちゃだとか、本だとかが置いてありました。まぁ、親父は英才教育を施そうと思ったんでしょうが、その栄養のやり過ぎのせいもあって、逆に息子の自分は努めて鉄道だとかにはあんまり興味が無いように育ってきました。
とはいえ、この「ブルートレイン」は、子供心の中にもいつかは乗ってみたいと言う気持もありました。なんていうか、やっぱり特別感があるというか。数年前には、寝台急行銀河に乗って、万博遠征に行ってみたりもしたけれど、その銀河も無くなってしまって、もう「ブルートレイン」に乗る機会なんてほとんど無い。
この「富士」と、連結運転される「はやぶさ」も、来年の春のダイヤ改正の時には無くなってしまう。だから、この大分遠征は「ブルートレイン」に乗る最後の機会と思って、準備をしていました。
まぁ、そう言う風に思うのも、親父の「英才教育」がなんだかんだで身体に染み付いていたんでしょうか。ホームに滑り込んで来る、青い車体を見ると、ナンだかワクワクしてしまうんですよね。
他にもジェフサポが何人も居ました。
スタジアムでよくお見かけする人も。それ以外にも、大勢のカメラを携えた人が居て、青い車体をカメラに収めていました。
いわゆる「電車」と「列車」の違いは、機関車に引っ張られるかどうかと言うこと。
一旦、品川側からEF66型電気機関車に引かれて入線して来た列車は、一度機関車と切り離され、機関車は神田側に一回抜けてから反対側のホームを通り抜けて、もう一回10番線ホームの品川側から入り直して出発体勢を整えます。
自分が今回利用したのは、「B寝台 ソロ」と言う座席(と言うか個室)。
開放式のB寝台と同じ料金で、個室に泊まれると言うお得な切符です。二階建てになっていて、自分は二階の部屋。いい感じにくたびれた感じになっています。それもそのはず、この車輌が製造されたのは、昭和51年。自分の生まれた年です。車掌さんが改札に回ってきた時、「オンボロですからね」と言っていたのがちょっと悲しい。自分には、すごく魅力的に見えるんですけどね。オンボロかも知れないけれど、この青い車体も、歴史を感じさせる室内の設備も。落ち着くんですよ。何故か。
ここから17時間の長旅のはじまりです。
飛行機だったら1時間ちょっとの旅。けれども、行き過ぎる風景を眺めながら過ごす時間がこんなに有意義だとは思いませんでした。東京駅の夜景を後にし、横浜を過ぎ、小田原を過ぎ。夜の闇の中を、一路西へ西へと向かっていく。
由比ヶ浜を過ぎ、豊橋を過ぎ・・・自分が日本と言う国の中を移動している、旅しているんだなぁと過ぎ去っていく時間と景色が教えてくれます。
ガタガタと大きく揺れながら進む列車。
ふと「銀河鉄道999」のテーマが頭に浮かんできたりします。
「汽車は闇を抜けて、光の海へ・・・」
特に二階席は窓が屋根の部分で湾曲しているので、天気が良ければ星も見上げる事が出来ます。部屋の電気を消し、車窓を眺めながらもの思いに耽っていると、時間はすぐに過ぎていきます。思いの外、疲れていたのか、岐阜を過ぎたあたりで眠ってしまい、神戸あたりで目が覚めたりしたけれど、はっきりと目が覚めたのは山口県に入る手前あたりでした。
通路に出ると、瀬戸内の海が目の前に広がっていました。
これもまた、列車の旅の楽しみ。
しばらくして徳山を過ぎて始まった車内販売であなご弁当を確保して腹ごしらえ。また、車窓に目をやります。山口を過ぎたあたりで、ボロボロになった新幹線の0系を発見。写真は撮れませんでしたが、おそらく間もなく解体されるのではないかと言う感じで、色が褪せて、水色と言うか白と言うか、遠目にも水垢だらけ。さよなら運転もやっている0系ですが、なんだか寂しい気分になってしまいました。
形あるもの、いつかは無くなるのですが。
その後、関門海峡を前に機関車を交換。ブルーの車体がいかにもブルートレインをイメージさせてくれるEF66型はここで終了。
EF81型にバトンタッチ。ステンレス無塗装の機体が見たかったけれども、今はその機関車は使って無い模様。残念。
さらに、九州に上陸して門司駅では、「富士」と「はやぶさ」の切り離し作業が行われます。
駅についてから、さすが現場の鉄道マンはテキパキと無駄が無いなと言うのが見ていての印象。素早くケーブルを切り離し、まず、前6両の「はやぶさ」がED76型に付け替えられ門司駅を後にします。
さらに、そこに入線して来るのがもう一両のED76型。この付け替え作業もテキパキとしたもの。そして、このED76には、「富士」のヘッドマークが付けられています。富士山型のこのヘッドマークは、もう本州では見られなくなってしまったものだけに、ここまで来てようやく見られた感じがします。
このED76型も昭和51年式。
間近で見る車体はやっぱり、かなり年季が入ってボロボロでした。でも、プレートの部分はしっかりと磨きこまれている。プロの誇りと言うか、仕事に臨む姿勢を教えられたように思います。
九州に入ると、ソニックだとかJR九州の特徴的な特急が目に留まります。関東ではお目にかかれない、時代の先の先を行ったようなデザインの電車特急。それの合間を縫って「富士」がここだけ時間が止まったように走っていくアンバランスさ。
大分県内に入った頃、しばらく一番最後尾まで行ってみました。
どこまでも線路が続き、それが東京まで千葉まで続いているのだと思ったら、人が物を作り上げる事の凄さを感じました。どれだけの時間がかかったのか、ここに来るまで。それでも、時間と情熱をかければ、ここまで道は繋がるのだなとも思ったし、何で親父が鉄道が好きなのか、少し解った様な気もしました。
そうこうしているうちに、列車は別府を過ぎ、大分駅へ。長い旅も、あっという間に終りです。大分駅でもまた、たくさんの人がカメラを構えて待ち構えていました。
これまでに無い、旅をしているのだと言う実感。
これが無くなってしまうと思うと、本当に惜しい。けれども、時代の流れは仕方ないのでしょうか。この日も、乗っていたのは観光目的やビジネス目的と言うよりは、この列車に乗る事が目的のマニアの人が多かったように思います。もう、そう言う人達しか乗らないのなら、この列車の意味も終わってしまったのかなとも。
飛行機なら1時間。料金も安い。けれど、この旅情は何物にも換えられないんじゃないかと思います。「
士」から出かける九石ドームは、まるで自分の家から出かけるような感覚だった。
こう言うものがあるんだと教えてくれた親父と、いつか旅に出れたらと思います。
まぁ、サッカー絡みで付き合ってくれるかはわからんですが。
追記:090125
「鉄道ファン」の3月号に、「富士・はやぶさ」が特集されていました。C62に「はやぶさ」が牽引されていた頃の写真など珍しいものもたくさん載っているので、興味があればぜひ。
親父に頼まれた以外で、初めて鉄道関係の本を買いましたわ(苦笑)。
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はじめまして、我が家もテツの英才教育受けたクチです。
>こう言うものがあるんだと教えてくれた親父と、いつか旅に出れたらと思います。
まぁ、サッカー絡みで付き合ってくれるかはわからんですが。
このへん共感です。昨年今頃、鳥栖のスタジアムを駅から見ました。はるばる鉄路はつながってる感じを実感しました。あと何年生きてくれるか?ですが、一緒に鉄道&サッカーの旅をしてみたいです。
コメントありがとうございます。
鳥栖スタジアムは、まだ行ったことが無いんです。うらやましいですね。
たしか、スタジアムの真横まで線路があったような。
今回「富士」に乗ってみて、鉄道でゆっくり移動する時間は、普段は話せないような事も自然に話せる時間のように思いました。旅情残る古い列車で、また旅してみたいと思います。