“イビチャ・オシムの真実”第四回「監督時代1979年~1994年」
- 2006.06.08
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サッカーJ+ vol.4掲載のオシム監督本日本語訳の第四回。
冒頭からして、いきなりはっとさせられた。最初に監督を始めたクラブ、ジェレズニツァールの回想「監督として最初にやったことは新しいキャプテンを選ぶことだった。それもユースから来た選手の中から。」まるで、阿部勇樹そのものではないか。その後も、ジェーリョ(ジェレズニツァール)での躍進は、ジェフのそれと重なる事は多い。
もっとも、ジェーリョの黄金時代の最後は、オシム監督の下で鍛えられたユース上がりの選手達を資金面でクラブに留める事が出来なくなり、幕を閉じてしまうのだが。。。
前回の第三回もぜひ合わせて読んで頂きたいのだが、この連載を読んで強く感じるのは、オシム監督が自身のクラブとして認識しているのは、故郷のクラブであり選手として育ったジェレズニツァールに相違ないと言うこと。決して資金力も無い地方のクラブにあって、それを弾き返そうと言う気持ちが、そのまま監督の人生哲学にも通じている。
冷たい雨の中で声を枯らし、敗戦の悔しさの中で次の勝利を誓う。かつて臨海でジェフがそうであったように、いやそうであったからこそ、オシム監督はジェフと言うクラブに何か、ジェレズニツァールと言うクラブに近いものを感じて、指揮を執ることを決断してくれたのではないかと思う。
今も、ジェレズニツァールのスタジアムには、オシム監督がサラエボに戻って来る事を願って横断幕が掲げられて居ると言う。そう言う故郷のサポーターの気持ちも考えると、いまある時間を感謝せずにはいられない。
第四回では、代表監督の辞任までを掲載。
監督の事をより深く知るならば、必ず読んでおきたい。
サッカーJ+ <vol.4>
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