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■ジェフ辞典
ジェフユナイテッド千葉に関する用語辞典。お遊び程度にどうぞ。
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|わ||記

【AED】
(えーいーでぃー)
<医療機器>
 “自動体外式除細動器”
 AED(自動体外式除細動器)とは電気ショックが必要な心臓の状態を判断できる、心臓電気ショックの器械の事。心臓発作などを起こした際に、この器械を用いる事で救命率を飛躍的に向上させる事が出来る。2004年7月より、一般市民にも使用が認められるようになった。
 フクダ電子は国内のトップメーカーで、フクアリにも各所に11台設置されている。
  【A自由席】
(えーじゆうせき)
<座席>
  観客動員アップの為に、臨海のメインスタンドに設けられた自由席。若干の価格差で、サッカーをより楽しく観る事が出来ると評判。
  臨海開催が無くなった現在では、過去の言葉だが、リザーブズの試合が臨海で開催されると、この旧A自由席の下段付近にサポーターが集まる事が多い。
【BSサポサポ】
(びーえすさぽさぽ)
<CM>
 02年のNHK-BSサッカー中継の合間に流れたCM。各チームのサポーターが出演し、そのチームの特色などをTVの前で紹介した。
【FIGHT FOR A WIN】
(ふぁいと・ふぉー・あ・うぃん)
<応援歌>
JEFUNITED市原の、チームオフィシャルソング。作詞/作曲は、「THE PACIFISTS with KENJI JAMMER」。マンチェスターのサポーターがバックボーカルで歌ってるとか。
【GOAL FOR (A) WIN】
(ごーる・ふぉー・(あ)・うぃん)
<その他>
かつて千葉TVで放映していた応援番組のタイトル。西野七海さんなどが担当していた。
【Jリーグ CHIBA DERBY MUTCH】
(じぇいりーぐ・ちば・だーびーまっち)
<その他>
 かつてBAY FMで放送していた、JEF・レイソルの応援番組。宮澤ミッシェル氏と柱谷幸一氏が初代の司会で、後に江尻篤彦氏と下平隆宏氏に移った。
 チームメイトをゲストに呼んでは、かなりざっくばらんなトークを行っていて聴き応えもあった。それにしても司会の4人、今では進路も変わったものだ。
  【JEFサポ人間リンク】
(じぇふさぽ・にんげん・りんく)
<企画>
 最強秋田犬さんのWebサイト“Circle with JEF UNITED ICHIHARA”の中の企画の一つ。ネット上でメンバーを紹介し、さらに登録メンバー専用のMLもある。
  【JEF-NET】
(じぇふねっと)
<メーリングリスト>
 古くからあった、JEF系MLの草分け的存在。
 04年春に閉鎖した。
■JEF-NETオフィシャルサイト
http://www.cc.rim.or.jp/~10point/jefnet/
  【JEF PRESS】
(じぇふ・ぷれす)
<広報誌>
  千葉県内のJR主要駅で無料配布されているジェフの広報誌。
  試合の案内や、グッズの紹介が中心。
  チームスタッフと、後援会や一般サポーターが協力しての駅頭配布が、月に1〜2回続けられている。
  【JFE】
(じぇいえふいー)
<企業名>
 旧川崎製鉄と旧NKKの合併により誕生したJFEホールディングスの略称。紛らわしいけど、JFE。蘇我スタは、このJFEの工場跡地につくられる。命名権を購入するのではとの噂もあったが、何と大型映像装置をプレゼントしてくれた。ブラボー。
  【JSA】
(にほんさぽーたーきょうかい)
<NPO団体>
  蘇我スタの設計変更署名活動に、外郭的に協力。会員の人が、国立などで署名を手伝っていた。サポーター、市民の意見で行政が動いた例として、そのHP・メルマガ上で活動を紹介。
【NAVY】
(ねいびー)
<サポーターズクラブ>
 サポーター団体の一つ。元市原粋犬会の最強秋田犬氏が2005年に立ち上げた。
 名前の通り普段は「紺」を基調にしているが、試合中は黄色のユニを着ている。応援に関しては、積極的に周囲に働きかけを行うタイプ。スタジアム全体を応援に巻き込むべく、コーナー自由付近で応援を行っている。
  【NEO】
(ねお)
<サポーターズクラブ>
  サポーター団体の一つ。2005年の終わり頃に、元ジアロコのメンバーが設立。
 まだメンバー自体は少ないようだが、ゴール裏2階席中央付近でチェッカーフラッグを振っているので目立つ。応援に関しては、他サポや元ジェフ選手に対しても「試合」と割り切って、厳しく接するべきと言うのがリーダーの方針のようだ。
【Over】
(おーばー)
<サポーターズソング>
  元ジェフジュニアユースの歌手・光永亮太の作詞/作曲によるジェフのサポートソング。
 2005年のイヤーブック上で阿部との対談を行った際、阿部がサポートソングの作成を依頼したことから制作されたもの。元ジェフらしく、歌詞の節々にスタジアムの情景を思い起こさせるフレーズが散りばめられた秀作。さらに、ジェフサポによるコーラスも追加されて、2006年2月にはシングル「Day by day」のカップリング曲としてリリースされている。
 フクアリでの試合後には、試合のプレイバックと共に流されている。
→購入(amazon.co.jp)
【RAIN OR SHINE】
(れいん・おあ・しゃいん)
<CD>
 OB・宮澤ミッシェル氏が現役時代に出したCD。トランスレコードより発売されているが、現在では絶版のはずである。時たま、TV番組などで流されては、大粒の汗を額に浮かべている氏を見かける。
  【RASTA】
(らすた)
<サポーターズクラブ>
 かつて存在した、サポーターズクラブ。正式名称は「緑友会 JEF市原 S・C・RASTA」。J2年目の1stステージからスタートし、当初は県立市原緑高校関係者が、OBの宮澤ミッシェルを応援する為に立ち上げたもの。最盛期には、450人ほどの登録メンバーが居た。
【SAVERS】
(せーばーず)
<選手ファンクラブ>
 現横浜・F・マリノスのGK下川健一選手の個人ファンクラブ。会員になると、会員証が貰え、バスツアーや年末のイベントなど様々な企画に参加出来る特典がある。
  【Sieg】
(ずぃーく)
<サポーターズクラブ>
 かつて存在した、サポーターズクラブ。正式名称は「古河サポーターズクラブ Sieg」。古河電工千葉事務所の職員・家族が主なメンバーで最盛期のメンバーは約300人。その大多数を市原市民が占めていた。日本リーグ・古河電工時代からのファンが多かったと言われる。
  【SR】
(えすあーる)
<天災>
 天災のこと。「ジャスティス」「アナザーワールド」「ジョージ」「TJ」など敬意を込めて呼称される事も多く、スタジアムでは彼らの名がコールされると大きなため息と、試合の無事を祈るサポの姿があちこちで見られる。
 年を経るに従って、存在感が無くなる(改善される)事もあるが、往々にして勢力を増していく。国内に止まらない各地に甚大な被害を齎した挙句、下部リーグに再び惨禍を撒き散らす事も。
  【SSB】
(えすえすびー)

<席種>
 市原臨海バックスタンド二階席中央の席種。SS相当。高けぇ。客入らんぞ。 クラブ側の説明では、メインスタンドや他のスタジアム(※国立やアルウィン、蘇我スタなど)との兼ね合いで、こう言う設定になったと言うのだが。今からガラガラのスタンドがTVに映りまくるのが目に浮かぶ。
 05年から若干だが値下げされた。

【U-31】
(あんだー・さんじゅういち)
<漫画>
 講談社モーニングKC/原作・網本将也/漫画・吉原基貴。
  モーニングで連載中のJを題材にした漫画。主人公・河野は城と前園を足して2で割ったようなキャラで、戦力外通告・移籍と言った、現実的でちょっと重いテーマを扱った。作者がジェフサポで、河野が所属する「ジェムユナイテッド市原」は随所にジェフの要素が盛り込まれている。

≪ストーリー≫河野敦彦(27)はJリーグ・東京ヴィクトリーの守備的MF。かつてはトップ下でアトランタ五輪代表にも選ばれ、将来を期待されたスター選手だった。しかし、いつの間にか代表にも呼ばれなくなり、世間からも忘れられつつあった。そんな2002年6月。W杯で日本中が盛り上がる陰で、河野はクラブから戦力外通告を受ける。サッカーを続けるため、輝きを取り戻すため、いま河野敦彦の闘いが始まった――。
→購入1巻2巻(amazon.co.jp)
  【U害】
(ゆーがい)
<隠語>
 お察しくだせぇ。
  【UNITED】
(ゆないてっど)
<機関紙>
 95年3月創刊のチーム機関紙。試合結果や、インタビュー、コラムなど薄い割には内容は盛りだくさん。1冊400円で、試合会場や移動式オフィシャルショップ、または通販で購入する事が出来る。
  【UNITED BBS】
(ゆないてっど・びーびーえす)
<企画>
 最強秋田犬さんの提唱で、00年秋頃から始まったJEFサポ用掲示板。“共有掲示板”の名前の通りに、賛同するWebサイトにLINKを張って貰い、入り口を多くしているのが大きな特徴。掲示板LINK賛同者専用のMLもあった。現在は終了している。
  【UNITED Online】
(ゆないてっど・おんらいん)
<有料コンテンツ>
  03年から始まったオフィシャルサイトの有料コンテンツ。日々のワンシーンを切り取った「姉崎日記」は、普段練習場に行けないサポーター必見。400円/月は安いと見るべきだろう。
http://www.so-net.ne.jp/JEFUNITED/member_index.html
【WIN BY ALL】
(うぃん・ばい・おーる)
(1)<スローガン>
  3年連続した降格争いの泥沼から脱却する為、チームが01年から掲げたスローガン。00年12月の意見交換会で公約した「3年で優勝争いが出来るチームにする」ため、チームは「ジェフ市原の一員として誇りを持って闘える」選手達をチームに残し、そうでなかった選手達(MF廣山・酒井、DF山口ら)を放出し、先行投資による現役代表クラスの外国籍選手の補強によって戦力の建て直しを図った。
 ベルデニック〜ベングロシュ〜オシムと現在に至るチームの方針そのものを体現している。ちなみに、03年は公約の3年目であり「WIN BY ALLの3年目」と称された。

(2)<場内放送>
 BAY-FMによるスタジアム限定プログラム(場内放送)のこと、スタジアムDJの蒲田さんと酒井さんが二人で務め、軽快なトークで試合前の時間を盛り上げてくれる。また、蒲田さんによるスタメン発表はジェフの名物の一つとも言える。
年々、ジェフに対する思い込みが深くなるのか、レベルアップしている。

【0トップ】
(ぜろとっぷ)
造語>
 97シーズン前、FW城彰二の横浜マリノス(当時)移籍によって引き起こされた、「チームにFW登録選手が一人も所属していない」と言う恐るべき恐慌状態。城の不義理も言われるが、当時から市原は大量の選手解雇など無計画な補強方針を毎年のように続けており、そのツケがモロに出た状態といえるだろう。
 その後、チームはラデ・松原を緊急補強。マキ(廣山)を加えた3人で1トップ・2シャドーを前線に置く、4-3-2-1の「クリスマスツリー」の布陣でヤン体制をスタートさせたが、急造布陣ゆえに成功とは言いがたかった。
【100億円】
(ひゃくおくえん)
<無駄遣い>
 J発足当初、JR東日本から供与されたと言われる10年間の運営費用。ホントにこの額がJRから出たかは不明で、まぁ存在の確率は徳川埋蔵金と同じくらいの信憑性。
 これだけあれば相当なコトが出来ても良さそうなものだが、選手の出入りを繰り返し、無計画なチーム運営を行ったと言われるF前社長時代に、キレイサッパリ使い終わったと言われている。
  【15,000人大作戦】
(いちまんごせんにんだいさくせん)
<企画>
 99のJ1残留戦線と共に盛り上がった、サポーター有志による臨海競技場への観客動員作戦。ポスターや、ビラ・HPなども作られ本格的なものだった。
 99〜01の1stステージくらいまで続いていた。
【2000年12月10日】
(にせんねん・じゅうにがつ・とおか)
<事件>
 天皇杯三回戦:栃木SC戦後、3年連続で続いた残留争いなど低迷するチームへの不満や、FW小倉隆史の放出報道に端を発する、市原で恐らくは初のサポーターからチームへの本格的な抗議活動。
 詳しくは当サイトのコラムを参照されたい。諸問題に対する岡社長・祖母井GMの直接説明を求め、多くのサポーターがスタンドやメインの入り口前に陣取った。結局、社長らは姿を見せず、夜10時前になって12月14日に再度話し合いが持たれる事が決まり、歯切れの悪い延長戦となった。
  【2000年12月14日】
(にせんねん・じゅうにがつ・じゅうよっか)
<事件>
 12月10日の抗議活動を受けて、開催された意見交換会。この時は、岡社長・朝熊副社長・三木常務も参加した。
 詳しくは、【討論会】の項目、当サイトのコラムを参照のこと。
 この討論会の結果と、後の下川・小倉・廣山・山口・酒井・内田ら放出と言う事件を境にして、古くからの市原ファン、それもコアと言われた人が多く市原を去って行った。
【3ヵ年計画】
(さんかねん・けいかく)
<ビジョン>
 「WIN BY ALL」のスローガンを掲げ、01-03年の3年間で優勝争いをすると言う計画。当時の岡社長が示した。
  ベルデニック〜ベングロシュ〜オシムと続いた東欧路線の強化策、強力な外国籍選手の獲得、大幅な戦力の入れ替えもあって約束は果たされた。
【56】
(ごじゅうろく)
<通称>
 “56”は通称で、昭和56年生まれに由来する。サポーター団体と言うよりも近い考え方の仲間の集まり。真面目な応援の呼びかけもやれば、ちょっとふざけた冗談のような事もする。
 ゴール裏バックスタンドよりの前列で応援している。
【8億円補強】
(はちおくえん・ほきょう)
<事件>
 04年後半に磐田の新指揮官に就任した山本監督による大規模補強。
 最も標的となったのはジェフで、当時不動の左WBであったユース上がりの村井慎二、10年選手として選手会長も務め、ようやく04年に代表まで登りつめたDF茶野隆行、そして京都にレンタル移籍していた元エース崔龍洙と、3名もの選手を金の力で強奪された。
 特に村井の移籍に関しては、インターネット上でメッセージが大量に寄せられ、千葉への広域化を前に地元出身選手が上げ潮のチームを去ることに大きな混乱が広がった。村井の家族も反対したものの、移籍の決断が既に前年の準代表戦で山本監督に招集されていた時に甘言を聞かされていたのは真に憎々しいばかりである。
 これまでも多くの主力選手の移籍を乗り越えて来たジェフサポにとっても、いよいよ優勝を狙わんとするチームからの生え抜き選手の移籍に対するショックは極めて大きく、結果、磐田及び山本監督に対する憎悪と反骨の心は最高潮に達した。直接対決となった05年4月の水曜平日ナイターの磐田戦へのバスツアーは3台を数え、異様な興奮の中で、監督も「ベストゲーム」と称するほどの圧倒的な快勝「3−1」を遂げた。
 さらに、ナビスコ杯でも多くの主力が欠ける中で代表揃いの磐田を撃破。「ジェフに残った正しさ」を、同杯の優勝をもって満天下に見せ付けたのである。


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