ジェフ千葉雑感記

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練習見学雑感記・1月29日(土) 2005年1月30日(日)20時46分23秒 deletemodify

トルコキャンプ前の姉崎へ。
別メ組や学校があって外れている新人もいて、人数的にはちょっと少ない。キャンプ前と言う事もあって軽いメニューになるのかと思いきや、走る走る。ダッシュと、ジョグを繰り返すかなり強力な負荷をかけてのトレーニング。選手ごとの、体力がモロに見えてくる。坂本や、移籍の瀬戸と言った面子がその持久力を見せつける中、何人かの選手はバテ気味。高卒選手も何とか頑張ってついて行くものの「今日はキツかったです」と練習後に中原が話していたように、まだまだジェフの練習に慣れようとしている段階と言ったところ。



さらに、この練習を終えた後にはゴールを4つ使ってパス回しとシュート練習。
次々と標的のゴールが変わって行くので、選手達にとっては素早い判断力と正確な技術が要求される。存在感を見せていたのは、新加入の高橋。単純に得点感覚だけ言うなら、FW陣の中でもアタマ一つ出ていた。彼の他にも、新卒の藤田はカラダが出来上がっている分、出場は早そう。逆に高卒組は、もう少しカラダ作りやが必要そうだ。アマの阿達は、カラダは大きいけれども判断力がもう一つ。このあたりがトルコキャンプのテーマになって来るだろうか。
またダニーロも積極的にプレーしていたが、外国人選手としてプラスアルファをもたらすかと言うとちょっと足りていない。ジェフアマに所属するらしいと言う話もあるので、もう少し寝かせて覚醒を待つと言ったところだろうか?ちなみにダニーロは日本語はペラペラ。

ちょっとした変化も。
練習中、坂本だけでなく大きな声が選手の誰ともなく出ている。結城なんかも、大きな身振りも合わせて周囲に指示を出している。新加入の選手も、元から居た選手に気後れする事無く大声で呼び捨てて指示を出している。このあたりは、雰囲気がいい意味で変わってきたかもしれない。まぁ、要田はなぜか「要田さん」と周りから呼ばれていたが(汗)



短いながらも中身の詰まった午前練習。
選手達は連日のトレーニングで疲れ気味ながらも、黙々とこなしてアピールをしていました。別メ組もさほど心配するような怪我はしていないので問題は無さそう。


そして、夕方の17時~は学校帰りの中牧・竹田らも加えて二部練習。
今度はグラウンドを半分ずつに分けて、攻撃練習。現時点でのトップ組とサテ組が分けられていた模様。サテ組には瀬戸やアマチュアの3人、新人選手の姿が。



今年の練習になって目立っているのが、オシム監督の激しいジェスチャーや大きな声。昨年までは、エジさんや小倉さんに任せていた分まで、オシム監督が直接指導しているようにも見えます。
時には、ボールを自ら蹴って「こうやるんだ!」と言うように見本を見せることも。これまでの二年間以上に、情熱の入った指導。何か監督の中で期するものがあるのか、練習中に見せる監督の仕草もこれまで以上に注目です。


明けて、30日には慌しくトルコへ。
午前練習が終わった段階で「いや〜何時か分からないんですよ」と言うスタッフの言葉には・・・だけども、「ICHIHARA CHIBA」のロゴの入った新しいボールも、気圧の変化で破裂しないように空気を抜いたし、準備は万端。

充実した合宿で、一回りも二回りも大きくなって帰って来てください。

祖母井部長と付き合うと言うこと 2005年1月27日(木)18時25分38秒 deletemodify

朝日新聞に「オシムと有能な仲間たち」と題するコラムが載っています。
http://www.asahi.com/sports/column/TKY200501270177.html
その中の祖母井部長の言葉『だってジェフはファミリーだもの。ぼくが大事にしているのはお金じゃなくて、人と人のつながり。』これに、ちょっとしたショックを受けていました。この言葉、自分と考えてる事は全く一緒。けれども、立場が違うと、こうもアウトプットが違うのかと。

ここ数年間、特に01年以降の祖母井部長の陣頭指揮によるジェフの建て直しは素晴らしいとしか言いようはありません。少ない資金の中で限られた戦力を活かす補強、ベルデニック・ベングロシュ・オシムと言う有能な指揮官の獲得、他チームも羨むジェフの強化は、同部長の力なくしては決して無かったでしょう。
現在のジェフのキーマンであることは、誰もが認めるところです。

けれども、ジェフと言う樹の幹を活かす為には、時として大きな枝葉を切るときもある。下川であり、小倉であり、永輔であり。欠かせないと思う選手を、時として切らなくちゃいけないと、そう判断しなければならない瞬間が祖母井部長にはある。
その判断は、いちサポーターの立場からすると身を切られるように痛い。果たして彼がどう言う理由で切ったかまでは何時だって本当のところは分からない。だから伝聞だけで、『「人と人のつながり」を大事になんかしていない』、そう考えてしまうし、いちサポーターとしての立場と感情で、やはり異を唱えてしまう。

「ファミリー」を活かすため、そう考えるからこその辛い判断もあると思う。
祖母井部長が鉈(なた)を振るうジェフを何年か見てきて、それは少しずつだけど理解できるようにはなってきた。
けれども願わくば、いちサポーターである自分らの目に触れる選手の声が、いつまでも「ファミリー」であって欲しいとも思う。チームを離れる事になったとしても、いつかまた一緒に戦おうと言えるような別れを願ってしまう。

別れは難しいもの。祖母井部長だけが背負うものでは無いと分かっていながらも、「人と人のつながり」が目に見えるようなジェフにしていって欲しい。

そしていちサポーターである自分に出来る事は、資金的な問題で選手を手放さなきゃいけない、そんな事が少しでも無くなるようにスタジアムに足を運ぶ事。そして一人でも多くのファンの足をスタジアムに向けさせる事だと思う。

ジェフに対する愛情の表現方法は違っても、目指すものは同じ。
なんだか今年は、それが形になりそうな気がして来ている。

練習見学雑感記・1月22日(土) 2005年1月22日(土)23時58分29秒 deletemodify

今年初の練習見学。北風の強い姉崎はかなり寒くて、思っていたより人出は多くなかった。時折、隣のアイススケート場から凍てついた空気が流れ込んでくる。マフラー&手袋は必須だった。

グラウンドに目をやると、既に選手達が散らばっていた。選手達の紺色のジャージはそんなに去年と変わらない。反対にコーチ陣の明るいブルーのジャージは、なんだか選手の妙に若々しくて違和感がある。去年の黒いジャージとギャップがありあり。昨日の会見を見る限り、監督も当然このブルージャージかと思っていたら・・・あ、去年と同じ黒ジャージ。。。監督、こっちがお気に入りなんですね(汗

それにしても、今年は新加入選手が多くてなかなか見分けがつかない。
加えて、アマの選手や練習生も入っているから、まず顔と名前を一致させるのが一苦労。周りのサポーター仲間と一緒に、「あの金髪は瀬戸。分かりやすいわな。」「FW組で、少し年上に見えるから、たぶん高橋。」「あの童顔・・・中原?」そんな感じで一人一人を確定させていく。
選手の中には、今年はアマチュア登録になった椎原、アマチュアのDF阿達(イケメン)、練習生で明治大学のFW松ヶ枝などの姿も。多彩な顔ぶれ。聞いた話では、昨日・一昨日も何人かの練習生やアマチュアが混じって練習していたようだ。



練習は相変わらず厳しい。最初のランニングは、体を温めるだけ。
その後は、選手を4つのグループに分けて、それぞれ別の練習。時間が区切って、別々にやっている練習をローテーションで順繰りにやっていくもの。オシム監督がつきっきりのパートでは、U字型に並べたハードルをディフェンスに見立てて、スラロームでドリブルしたり、ハードルの下をボールをくぐらせたりして、最後はミニゴールにシュートすると言うもの。これを連続で繰り返す。ときおり監督が、自分で見本を見せたり、「ネットにダイレクトで当てろ!」と間瀬さんから叱咤の声が飛ぶ。今まで以上に熱がこもった練習風景だ。
タダでさえキツイのに、これをやっている間に突然、横飛びでハードルを左右にまたぎ飛ぶ基礎体力強化の練習や、ダッシュも入るからたまらない。巻のように、最初から大汗を流す選手や、勇人のようにハードルに足を取られる選手も続出していた。

そんな中でも、新しいメンバーはアピールに懸命。
黙々と初めての市原の練習に四苦八苦しながらも、遅れる事無くしっかりとついてきていた。オフの間、しっかり体は出来ているよう。周囲の期待に応えるべく、最初から全開と言う様子だった。(写真はFW高橋)



さて、この練習も一段落・・・となると全員が集められて、フルコートの片方のゴール前に集合。何をやり始めるかと見ていると、ゴールキーパーのスローインで3人が同時に駆け出した。1人がDF役、2人が攻撃役。延々フルコートを端から端まで。カウンターのシーンが作られたように、反対側のゴールを目指して駆けて行く。
ただ走るよりも、頭も体も疲れる練習。これを右から左へ、左から右へ・・・延々30分以上続ける。観ている方が「ありゃキツイ」と思うハードさ。そして、去年もあまり観た事の無い練習の数々、監督の引出しの多さ。久々に見る姉崎は、いつも通りの、それでいて新鮮な生存競争が始まっていた。

それを観ていたら、なんだか不安が消し飛んでいる自分に気がついた。こんだけやってて、負けるはずが無いと。これからのトレーニングと、トルコキャンプで、いったい開幕までにはどんなチームになるのか?
楽しみで仕方ない新生ジェフに、期待の膨らむ一日だった。

2004年総括と2005年展望 2005年1月3日(月)22時13分12秒 deletemodify

 2004年の市原、振り返って考えると目標を定めきれなかったた一年ではなかったかと思う。
 2003年、オシム監督の下で悲願の初優勝まであと一歩に迫り、2004年はいよいよ優勝を掴むシーズンのはずだった。だが、クラブの考えは「3年後に優勝出来るチーム作り」、現場の空気とは温度差があった。実際、オフの動向も決定的な資金力の問題があるにせよ、崔龍洙・中西・大柴・吉田と言った、主力・準主力の放出に対して、ほとんど補強らしい補強はされなかった。監督の望んだタイプと言われたマルキーニョスにせよ、補強候補の一番手の選手では無かった。

 実質的な戦力ダウン。他チームが効果的な補強を進め、市原のサッカーを研究してくる中で監督・選手が見せたのは、全員サッカーの更なる進化、そして次々に訪れる試練への逞しい対応だった。

 シーズン序盤、チームは新エース:マルキーニョスの組み込みに時間を要した。崔龍洙とは全くタイプの異なるこのFWを如何に機能させるのか、ちばぎん杯・開幕戦の試行錯誤を経て、答えは早くも1st第2節で永輔の居るマリノスとの戦いで明らかになる。中盤選手との激しいポジションチェンジで、マリノス守備陣をズタズタにしたこの勝利で一気にチームは波に乗り、勢いのままに3連勝を果たした。阿部・勇人の3列目からの攻撃参加も加わって、最初のピークを迎えた。
 ところが、マルキーニョスに加えサンドロ・阿部を欠いた第5節ガンバ戦で試合終了間際に判断ミスから同点に追いつかれると、ここから一気にリズムを崩して引き分け地獄に陥ってしまう。自信を失ったのか、ゴール前まで攻め込んでもシュートを打たない。主導権を奪い、チャンスを作りながらも勝ちきれない、悶々とした空気を引きずったまま1stを終え、その後のナビスコ杯予選も惜敗。
 気持ちの切り替え、そして誰かが欠けると途端に戦力の落ちる薄っぺらな選手層、1stを通じて透けて見えたチームの課題は明確だった。

 2つの問題のうち、「気持ち」を切り替えるきっかけとなったのが、7月末に行われたレアル・マドリード戦だった。世界の超一流との対戦。自分たちの持てる力をブツけて、何が通じて何が通じないかが分かった事で、つかえていた何かが少しずつ溶かされて行った。

 迎えた2NDステージ、マルキーニョスの爆発で序盤を3勝1引き分けで乗り切る。この勢いのまま、順位的に下位との対戦が続く前半のうちに勝ち点を貯めなくてはならなかったのだが、ここで低迷していたC大阪に0−3の完敗、柏にも引き分け。昨年と同じ轍を踏んでしまう。この柏戦でマルキーニョスを再び負傷で失った市原は、続く首位決戦と言われた浦和戦にも0−4で完敗を喫し、優勝争いから脱落してしまった。

 目標を失ったチーム。普通に考えれば、ここでなぁなぁの試合が続いてしまってもおかしくない。ところが、ここからが市原の今年のハイライトでは無かっただろうか。
 優勝と言う目標を失い、怪我人が続出し、1STの上位との対戦ばかりを残して迎えた後半戦。チームの危機に、新戦力が敢然と立ち向かっていった。今年入ったばかりの、水本・水野・市原の高卒ルーキー三人衆に加え、緊急補強されたパラグアイ帰りの要田。それぞれが与えられた出場機会にきっちりと結果を出して、貴重な戦力に成長。「選手層」と言う問題に回答を出していった。

 再び息を吹き返した市原。ところが、淡い期待はまたも砕かれる。リーグ戦で連勝して迎えた天皇杯の初戦でJ2最下位の札幌にまさかの敗戦。ここで、室蘭まで飛んでいたサポーターが、涙ながらに思いのたけをブツけた。それが、最後のきっかけになった。

 それまで、どこか選手とサポーターの間が遠かった市原。それが、この敗戦をきっかけにして、本当の意味で一緒に戦うチームに変わっていた。続く神戸戦、不甲斐ない敗戦の悔しさをぶつけるように怒涛の5ゴール。続く東京戦で引き分けたものの、最終節の磐田戦で見事な逆転勝利を収め、2位に滑り込んだ。
 そして、その勝利を分かち合う選手・スタッフとサポーターの姿があった。



 一年を通じて次々に現れた苦境を乗り越えた事で、チームの結束はさらに強くなった。2005年の収穫を上げるなら、これがまず第一だろう。それは、安易な敗戦を許さず、選手もサポーターも全力を尽くすと言う決意であったとも言える。残り3試合で見せた、戦う気持ちはかけがえの無い財産だ。

 そして、戦力も着実に上積みがされた。要田の予想外の活躍もあり、高卒3人も期待以上の働きを見せてくれた。
 各選手の戦術理解も進み、2003年を上回る柔軟な戦いが可能になっている。ボランチで奮戦した坂本、オフェンシブで貴重な得点源になった勇人はその典型だろう。だれが欠けても、市原らしいサッカーを貫徹できるところまでレベルは上がって来た。悲願まではあと一歩と言えるだろう。

 2005年は、一足早い総決算の年になると言える。オシム体制の三年目。
 監督が自らチョイスする3人の外国籍選手をセンターラインの核に据え、新加入選手達と繰り広げる激しいポジション争い。それは、いままでのジェフにはない、壮絶な生存競争になるだろう。

 優勝は綺麗ごとだけじゃ成り立たない。
 生存競争に勝ち残った選手が見せる、本当のオシムサッカーで、2005年は「優勝をする」年、新スタジアム元年に相応しいフィナーレを期待したい。

12/5(日)・スタンプラリーイベント ショートレポート 2004年12月6日(月)2時13分34秒 deletemodify

スタンプラリーイベント、大盛況でした。
年間12試合以上の観戦とハードルが高いながら、去年の倍以上400〜500人が参加。正直、このペースだと来年からはサンプラザじゃ厳しいか?折からの強風で鉄道ダイヤが乱れる中、皆さんお疲れ様でした。

イベントには、山岸・坂本・中島・巻・工藤に新潟帰りの村井・阿部の7選手が参加。
歓談やサイン会、ジャンケン大会で大いに盛り上がりました。



冒頭、淀川社長からの挨拶では、元古河の選手らしく「浦和(三菱)にタイトル獲得で先を越されて悔しい」との言葉も。「オシム監督にはチームに残って欲しい」「来季の充実の為に金策に奔走している」などの言葉も。最終節後の挨拶以降、だいぶ社長自信の露出が増えてきて、前任の岡社長とはまた違った「味」が出てきました。
この言葉が、どう言う形で形になるかは要注目。個人的には、蘇我や千葉市へのクラブのアピールと、サポーターの力も巻き込んだチラシ配布などをお願いしておきました。

イベントでは、阿部に質問が集中砲火、さすがの人気っぷり。「海外のどのクラブでやってみたいですか?」との際どい質問も。時間切れで、さらりとかわしていましたが。
しかしさすが、12試合以上ホームで観戦している猛者ばかり、小さな子から村井へ、昨日のチャリティマッチの感想を質問されるなど、終始和やかでした。

ジャンケン大会の最後では、社長が飛び入りで参加。
だいぶ勝ち残った坂本に「これで次勝ったら、彼は放出します!」と冗談も。無事に?次で敗れて、坂本は残留と相成りました。

そして最後に、放出が決まっている野本が登場。
ファンに最後の別れを告げました。高校生の頃に練習生としてやって来て以来、ずっと気にかけていた選手だったので、こうしてファンにきちんと別れの場が設けられたのはすごくよかった。サッカーは続けて行けそうとの事なので、新天地での活躍を祈るばかりです。
頑張れ!野本!



それにしても本当に、たくさんの人で驚きました。
この良い流れが、来季も続くように。また来年も、選手・スタッフの皆さん宜しくお願いいたします。

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zakkan v.1.01